アポロ計画捏造説#62 ねつ造派の視点で見た米ソ宇宙開発競争

アポロ計画捏造説#61 では、 ソ連側の宇宙開発の基礎知識についてまとめました。

次は宣言通り、米ソ宇宙開発競争について、ねつ造派の視点でまとめてみたいと思います。

アメリカの宇宙開発とソ連の宇宙開発を時系列で比較します。

1957年10月ソ連世界初の人工衛星(スプートニク1号)

スプートニク・ショックが起こり、米ソ宇宙開発競争の火ぶたが切られました。
アメリカは慌ててエクスプローラ計画を進行しました。
地上200km-900kmの高度を92日間周回したと報告されました。途中22日目で電池は切れていました。
大きさは直径58cmの球状であり、200km先のこの小さな物体をどのようにトレースしていたかの情報がありません。
この点において、虚偽の情報発信はまちがいなく行われていました。

1959年1月ソ連月に5,995kmまで近接(ルナ1号)

地球を脱出する速度に達した初めての宇宙船。
月に届かなかった理由はプログラミングのエラーのため上段の燃焼時間が間違っていた、という説明になっています。
情報が少ないため、真偽の確認のとりようがないですが、前後のミッションの状況から判断すれば、虚偽の公表もあったと考えられます。

1959年9月ソ連月の表面に到達(ルナ2号)

ルナ2号自体には、推進装置は付いていませんでした。
つまり打ち上げロケットから切り離された後、一切の軌道修正なく、一直線に月を目指して突っ込んだことになります。
33時間かけて38万キロ先の月にまっすぐにたどりつくということは、普通に考えて現実離れしており不可能です。
この時既にソ連は偽装していました。
以降も数多く月探査機は打ち上げられましたが、次に月にたどり着いたのは6年後の1965年になります。

1959年10月ソ連月の裏側を撮影(ルナ3号)

軌道修正のためのロケットエンジンは備えていませんでした。
しかし月にたどり着き、月の裏側を通過して、地球大気圏にまで戻ってきました。
アポロ計画で使われた自由帰還軌道と同様で、このような軌道はありえないです。
(※#34 月への軌道や宇宙速度のこと 参照)

1961年4月ソ連人類初の有人宇宙飛行(ボストーク1号)

ガガーリンが「地球は青かった」と語りました。※厳密には違うらしい
打ち上げ成功直後にソ連政府は「ガガーリン少佐を乗せたボストークが軌道周回中」と発表しました。
ソ連は決してミッション前に公表はしませんでしたが、ミッションの確実な成功を確信して公表したとすれば、ガガーリンはボストークに乗っていなかった可能性があります。

1961年5月米ケネディ大統領がアポロ計画を起案

ソ連におくれを取ったアメリカがアポロ計画を宣言しました。
ソ連の有人宇宙飛行の成功もありますが、その裏にはピッグス湾事件の失敗も含まれていました。
ソ連の偽装には気づいていたかもしれません。ただ、アメリカが偽装に手を染めるには、ここから約1年の歳月がかかりました。
(※#60 月面ミッションとそれに関わった3人の大統領 参照)

1962年4月米月面到達(レインジャー4号)

これが偽装なのは既に説明しました。(※#60 月面ミッションとそれに関わった3人の大統領 参照)
アメリカも偽装に手を染めました。

1965年3月ソ連史上初の宇宙遊泳(ボスホート2号)

アメリカのジェミニ計画の対抗です。
準備中にフルシチョフが失脚したが計画通り行われました。
宇宙遊泳の様子はテレビ放送され、ブレジネフ書記長らソ連の首脳から祝福のメッセージが送られました。
決してミッション前に公表しないソ連が、しかも最高指導者の政権交代の真っ最中に、数分遅延だったとしても、このような危険なミッションをテレビ放送することは考えられません。
まちがいなく宣伝利用であり、偽装しています。

1965年5月ソ連2度目の月面衝突(ルナ5号)

軟着陸を目指したが失敗して衝突となっています。ソ連の月面衝突は6年ぶりでした。
直前の1964.7、1965.2、1965.3にアメリカはレインジャー計画で3度連続で月面衝突を成功しました。
アメリカの成功に焦ってソ連の偽装も復活しました。

1965年6月米アメリカも船外活動(ジェミニ4号)

ソ連の宇宙遊泳の成功に対抗し、体を船外に乗り出すだけの計画を変更して23分間に渡っての本格的な船外活動を行いました。
しかし、ジェミニ計画も偽装でした。(※#39 アポロの正確すぎる地球帰還 参照)

1966年1月ソ連月の軟着陸に成功(ルナ9号)
1966年5月米月の軟着陸に成功(サーベイヤー1号)

ソ連は軟着陸ミッション12回目にしてやっと成功させました。
対するアメリカは1度目のチャレンジで成功させています。
ソ連はアメリカの追随に焦り、アメリカはソ連に追いつくことと60年代期限のアポロ成功に焦っての、偽装合戦となりました。

1967年2月米打ち上げ失敗で宇宙飛行士死亡(アポロ1号)
1967年4月ソ連帰還時に宇宙飛行士死亡(ソユーズ1号)

アポロ1号は月面着陸に反対していた宇宙飛行士3人を殺害することが目的だったとも言われています。多数の欠陥が見つかり司令船は再設計となりました。
ソユーズ1号は多数の欠陥を認識しながら無理やり打ち上げられました。その結果宇宙飛行士が死亡する事故が発生しました。有人宇宙飛行の歴史における、最初の飛行中の事故による死者となりました。

1969年7月ソ連月の軟着陸に失敗(ルナ15号)・・・アポロ11号着陸の数時間前
1969年7月米月面有人着陸に成功(アポロ11号)

米ソの明暗を分けた結果になりました。
両者偽装合戦なのに、なぜソ連がアメリカに譲ったのか、私はこのように考えています。

ソ連はアメリカが成功することは知っていました。その上でアメリカが偽装がばれて自滅することを願っての賭けに出ました。つまり、火の粉が当たらないよう自分たちは失敗を演出したのです。ただし、ソ連の口からアメリカの偽装を指摘することは、決してできませんでした。(※#22 アポロ捏造派への指摘 Part 2 参照)

1970年9月ソ連無人機で月のサンプルリターンに成功(ルナ16号)

このとき既にアポロは11号と12号の2つが月有人着陸に成功していました。
サンプルリターンはこの後1972年2月のルナ20号、1976年8月のルナ24号でも行われました。
全てのミッションで偽装工作が行われました。

1970年11月ソ連月軟着陸後、月面車ルノホートで探索(ルナ17号)

ルノホートはこの後1973年1月のルナ21号でも使われました。(計2台)
全てのミッションで偽装工作が行われました。

1971年6月ソ連地球帰還に失敗し宇宙飛行士死亡(ソユーズ11号)

世界初の宇宙ステーション、サリュート1号へのドッキングに初めて成功したのですが、地球帰還時のトラブルで宇宙飛行士は全員死亡しました。
このミッションはアポロ14号と15号の間のことで、この事故によってソ連はアポロに完全敗北となりました。

1975年7月米ソ米ソ宇宙船がドッキングして合流(アポロ・ソユーズテスト計画)

米ソによる宇宙開発競争の時代も終了となりました。
これも失敗の許されないミッションなので、すべては偽装の上で演出が行われました。



アポロ計画捏造説#63 につづく

アポロ計画捏造説#61 ソ連側の宇宙開発の基礎知識

アポロ計画捏造説#60 では、月面ミッションとそれに関わった3人の大統領についてまとめました。

そこのコメント欄で、「次は米ソ宇宙開発競争について、ねつ造派の視点でまとめてみたい」と書きました。

ただ、ソ連側の宇宙開発のことを良く知らないので、まずは基礎知識を確認することにします。

背景

アメリカとソ連は第二次世界大戦で勝利し2大強国となったが、資本主義と社会主義の思想で世界的な対立が始まりました(冷戦)。その対立は軍事、外交、経済だけでなく、宇宙開発や航空技術、文化、スポーツなどにも大きな影響を与えました。宇宙開発は軍事技術の指標となり得ることもあり、積極的に推し進められました。


ソ連の宇宙開発計画

スプートニク計画無人人工衛星の計画
コスモス衛星人工衛星(技術開発衛星、航行衛星、軍事衛星などさまざま、失敗ミッションに割り当てられることもある)
ボストーク計画有人宇宙船の名前(ボストークとボスホートのミッションの目的はほぼ同じ)
ボスホート計画有人宇宙船の名前(ボストークとボスホートのミッションの目的はほぼ同じ)
ルナ計画月を目標にし、月探査機を着陸・衝突させることを目的
ゾンド計画惑星探査機の試験 / ソユーズ有人月飛行のための無人試験
ソユーズ計画有人月旅行計画(ボスホートの後継 / 有人月旅行は実現されなかった / 宇宙ステーション往還に使用)
ソユーズL1計画有人月接近飛行(実体はゾンド計画)
ソユーズL3計画有人月着陸(1974年に計画は中止され実現しなかった)
アポロ・ソユーズテスト計画1975年に行われた米ソ宇宙船のドッキング


政治指導者

ニキータ・フルシチョフ
第4代最高指導者
任期: 1953年3月14日 - 1964年10月14日
※1961年のウィーン会談では、ケネディ大統領と対立し、ベルリンの壁の構築にまで至る。

レオニード・ブレジネフ
第5代最高指導者
任期: 1964年10月14日 - 1982年11月10日
※1971年以降、ニクソン大統領と米ソの関係改善に尽力。



宇宙開発関係者

セルゲイ・コロリョフ
ソ連の宇宙開発の責任者(アメリカの宇宙開発の責任者はウェルナー・フォン・ブラウン)
1966年1月に癌で死亡した。
アメリカがコロリョフの存在を知ったのは彼の死後。
ヴァシーリー・ミシンが継ぐが活躍はできなかった。

ユーリ・ガガーリン
ボストーク1号に乗り込んだ宇宙飛行士
「地球は青かった」と語った。(※厳密には違うらしい)
1968年に墜落事故で死亡したが、捏造説などもある。


スプートニク - ソ連の無人人工衛星の計画

スプートニク1号
1957年10月
成功 - 【世界初の人工衛星】
※宇宙開発競争の火ぶたが切られた
スプートニク2号
1957年11月
成功 - ライカという名の犬を乗せて飛行。大気圏再突入で消滅
スプートニク3号
1958年5月
成功 - 地球周回、大気圏再突入で消滅
スプートニク4号
1960年5月
失敗 - 地球周回後の大気圏再突入に失敗(1962年9月アメリカに破片が落下)
スプートニク5号
1960年8月
成功 - 動物を乗せ、地球周回軌道上に打ち上げ、帰還に成功
スプートニク7号
1961年2月
失敗 - 金星を目指していたが失敗
※スプートニク4号、5号はボストークのテスト飛行も兼ねており、有人ミッションのボストーク計画へ続く


ボストーク - ソ連の有人宇宙飛行計画(ボストークは宇宙船の名前)

ボストーク1号
1961年4月
成功 - 【人類初の有人宇宙飛行】-ガガーリン
ボストーク2号
1961年8月
成功
ボストーク3号
1962年8月
成功 - ボストーク3号と4号でランデブー
ボストーク4号
1962年8月
成功 - ボストーク3号と4号でランデブー
ボストーク5号
1963年6月
成功 - ボストーク5号と6号でランデブー
ボストーク6号
1963年6月
成功 - ボストーク5号と6号でランデブー


ボスホート - ソ連の有人宇宙飛行計画(宇宙船の名前だが無人のものはコスモスとなっている)

コスモス47号
1964年10月
成功 - ボスホートの無人試験飛行
ボスホート1号
1964年10月
成功 - 史上初の複数人による宇宙飛行
コスモス57号
1965年2月
失敗 - 無人試験飛行
ボスホート2号
1965年3月
成功 - 【史上初の宇宙遊泳】(トラブルは多かった)
コスモス110号
1966年2月
成功 - 無人試験飛行(ソ連初の生物実験 - 【宇宙犬】)
ボスホート3号
1966年6月(予)
中止 - 正式なキャンセルはなく、自然消滅したことになっている
ボスホート4号
1967年秋(予)
中止 - ボスホート2号の災害とコロリョフの死によりキャンセル
ボスホート5号
1966年後期(予)
中止 - ソユーズと月面着陸プログラムに集中するためキャンセル
ボスホート6号
1967年初期(予)
中止 - 1966年春にキャンセル



ルナ計画 - ソ連の月探査計画(打ち上げに失敗したものはコスモスとなっている)


ルナ1958A
1958年9月
衝突
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ1958B
1958年10月
衝突
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ1958C
1958年12月
衝突
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ1号
1959年1月
衝突
失敗 - 月近傍5,995kmを通過【地球を脱出】
ルナ1959A
1959年6月
衝突
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ2号
1959年9月
衝突
成功 - 【月の表面に到達】
ルナ3号
1959年10月
周回
成功 - 【月の裏側の様子を撮影】
ルナ1960A
1960年4月
近接
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ1960B
1960年4月
近接
失敗 - 打ち上げ失敗
スプートニク25号
1963年1月
軟着陸
失敗 - 地球軌道離脱に失敗
ルナ1963B
1963年2月
軟着陸
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ4号
1963年4月
軟着陸
失敗 - 月の軟着陸を目指したが失敗して月を外れた
ルナ1964A
1964年3月
軟着陸
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ1964B
1964年4月
軟着陸
失敗 - 打ち上げ失敗
コスモス60号
1965年3月
軟着陸
失敗 - 打ち上げ失敗(そのためルナの名称が与えられなかった)
ルナ1965A
1965年4月
軟着陸
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ5号
1965年5月
軟着陸
失敗 - 月の軟着陸を目指したが失敗して月に衝突した
ルナ6号
1965年6月
軟着陸
失敗 - 月の軟着陸を目指したが失敗して月を外れた
ルナ7号
1965年10月
軟着陸
失敗 - 月の軟着陸を目指したが失敗して月に衝突した
ルナ8号
1965年12月
軟着陸
失敗 - 月の軟着陸を目指したが失敗して月に衝突した
ルナ9号
1966年1月
軟着陸
成功 - 【月の軟着陸に成功した】
コスモス111号
1966年3月
周回
失敗 - 打ち上げ失敗(そのためルナの名称が与えられなかった)
ルナ10号
1966年3月
周回
成功 - 月の周回軌道に乗ることに成功
ルナ11号
1966年8月
周回
成功 - 月を周回しながら観測を行った
ルナ12号
1966年10月
周回
成功 - 月を周回しながら観測を行った
ルナ13号
1966年12月
軟着陸
成功 - 月の軟着陸に成功した
コスモス159号
1967年5月
周回
失敗 - 地球軌道離脱に失敗
ルナ1968A
1968年2月
周回
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ14号
1968年4月
周回
成功 - 月を周回しながら観測を行った
ルナ1969A
1969年2月
軟着陸
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ1969B
1969年4月
帰還
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ1969C
1969年6月
帰還
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ15号
1969年7月
帰還
失敗 - 月の軟着陸に失敗し月に衝突(アポロ11号が着陸する数時間前のこと)
コスモス300号
1969年9月
帰還
失敗 - 打ち上げ失敗(そのためルナの名称が与えられなかった)
コスモス305号
1969年10月
帰還
失敗 - 打ち上げ失敗(そのためルナの名称が与えられなかった)
ルナ1970A
1970年2月
帰還
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ16号
1970年9月
帰還
成功 - 【月のサンプルリターンに成功した】
ルナ17号
1970年11月
軟着陸
成功 - 月の軟着陸に成功、月面車ルノホート1号による調査を行った
ルナ18号
1971年9月
帰還
失敗 - 月の軟着陸に失敗し通信不通になった
ルナ19号
1971年9月
周回
成功 - 月を周回しながら1年間の観測を行った
ルナ20号
1972年2月
帰還
成功 - 月のサンプルリターンに成功した
ルナ21号
1973年1月
軟着陸
成功 - 月の軟着陸に成功、月面車ルノホート2号による調査を行った
ルナ22号
1974年5月
周回
成功 - 月を周回する軌道に投入されて観測を行った。
ルナ23号
1974年10月
帰還
失敗 - 月の着陸の際に損傷して失敗した。
ルナ1975A
1975年10月
帰還
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ24号
1976年8月
帰還
成功 - 月のサンプルリターンに成功した。
※ルナ24号をもってルナ計画は終了しました。


ゾンド計画 - 無人探査機(1号-3号) or ソユーズ有人月飛行の無人試験(それ以降)

3MV探査機(惑星無人探査)
ゾンド1号
1964年4月
金星
失敗 - 金星フライバイ前に通信途絶
ゾンド2号
1964年11月
火星
失敗 - 火星フライバイ前に通信途絶
ゾンド3号
1965年7月
月
成功 - 月フライバイ、月の観測に成功

7K-L1宇宙船(ソユーズ有人月飛行の無人試験)
コスモス146号
1967年3月
テスト
成功 - テスト飛行
コスモス154号
1967年4月
テスト
失敗 - エンジントラブル
ゾンド1967A
1967年9月
月
失敗 - 打ち上げ失敗
ゾンド1967B
1967年11月
月
失敗 - 打ち上げ失敗
ゾンド4号
1968年3月
月
成功 - 月に近づいた後地球へ帰還、着陸地点の問題で意図的に爆破
ゾンド1968A
1968年4月
月
失敗 - 打ち上げ失敗
ゾンド1968B
1968年7月
月
失敗 - 打ち上げ失敗、射場で爆発
ゾンド5号
1968年9月
月
成功 - 月周回後帰還、亀や他の生物を乗せた
ゾンド6号
1968年11月
月
成功 - 月周回後帰還
ゾンド1969A
1969年1月
月
失敗 - 打ち上げ失敗
ゾンドL1S-1
1969年2月
月
失敗 - 打ち上げ失敗
ゾンドL1S-2
1969年7月
月
失敗 - 打ち上げ失敗
ゾンド7号
1969年8月
月
成功 - 月フライバイ後帰還
ゾンド8号
1970年10月
月
成功 - 月フライバイ後帰還
ゾンド9号計画中止
ゾンド10号計画中止


ソユーズ計画

コスモス133号
1966年11月
失敗 - ソユーズ計画の試験衛星
コスモス140号
1967年2月
成功 - ソユーズ計画の試験衛星、しかし多数の問題点が発見
ソユーズ1号
1967年4月
失敗 - 帰還時に宇宙飛行士は死亡
コスモス186号
1967年10月
成功 - 無人機、コスモス188号とドッキング【初の自動ドッキングを達成】
コスモス188号
1967年10月
成功 - 無人機、コスモス186号とドッキング【初の自動ドッキングを達成】
コスモス212号
1968年4月
成功 - 無人機、コスモス213号とドッキング
コスモス213号
1968年4月
成功 - 無人機、コスモス212号とドッキング
ソユーズ2号
1968年10月
失敗 - 無人機、ソユーズ3号とドッキング予定だったが失敗した
ソユーズ3号
1968年10月
失敗 - 有人機、ソユーズ2号とドッキング予定だったが失敗した
ソユーズ4号
1969年1月
成功 - 有人機、ソユーズ5号とドッキング【初の有人ドッキングを達成】
ソユーズ5号
1969年1月
成功 - 有人機、ソユーズ4号とドッキング【初の有人ドッキングを達成】
ソユーズ6号
1969年10月
失敗 - 有人機、ソユーズ6号/7号/8号の合同ミッション
ソユーズ7号
1969年10月
失敗 - 有人機、ソユーズ6号/7号/8号の合同ミッション
ソユーズ8号
1969年10月
失敗 - 有人機、ソユーズ6号/7号/8号の合同ミッション
ソユーズ9号
1970年6月
成功
ソユーズ10号
1971年4月
失敗 - 宇宙ステーションサリュート1号へのドッキング予定だった
ソユーズ11号
1971年6月
失敗 - サリュート1号へのドッキングは成功したが帰還に失敗し死亡
※以降ソユーズ12号(1973年)へ続き現在に至る。


アポロ・ソユーズテスト計画

ソユーズ19号
1975年7月
成功 - ソ連側
アポロ18号
1975年7月
成功 - アメリカ側
※ドッキングして両者が合流しました。米ソによる宇宙開発競争の時代も終了となりました。
※その後打ち上げたルナ24号の成功をもって、ルナ計画も終了しました。


アポロ計画捏造説#62 につづく

参考リンク
http://www.d1.dion.ne.jp/~ueharas/seiten/gt10/ussr1.htm
Wikipedia各種

アポロ計画捏造説#60 月面ミッションとそれに関わった3人の大統領

アポロ計画捏造説#59 では、アポロ計画で使った費用のことについてまとめてみました。

今度は月面ミッションとそれに関わった3人の大統領について、まとめようと思います。

月面ミッションは有人・無人の月面へのフライトで次のようなものがありました。
  • パイオニア計画 ・・・ 無人の月探査(月接近)
  • レインジャー計画 ・・・ 無人の月探査(月面衝突)
  • サーベイヤー計画 ・・・ 無人の月探査(月面軟着陸)
  • ルナ・オービター計画 ・・・ 無人の月探査(月面周回軌道投入)
  • アポロ計画 ・・・ 有人の月面着陸

アポロ計画に関わった大統領は3人いました。
  • ケネディ大統領(1961年1月~1963年11月)
    アポロ計画を発足。1963年暗殺され死亡。民主党。
  • ジョンソン大統領(1963年11月~1969年1月)
    副大統領だったがケネディ暗殺により大統領に昇格。民主党。
  • ニクソン大統領(1969年1月~1974年8月)
    アポロ月面着陸達成時の大統領。元副大統領(1953年1月~1961年1月)。共和党。

今回は私の感想や考察が節々に書かれています。
それに対する意見はもしあったらコメントに書いていただけるとうれしいです。


時代背景とアポロ計画の始動

1959年1月キューバ革命後、キューバはカストロが首相に就任しました。アメリカとキューバは仲が悪く、特にニクソン副大統領はカストロを嫌っていました。ニクソン副大統領とCIA長官アレン・ダレスが対キューバ戦を統率していました。
そして1961年1月、大統領になったばかりのケネディは慎重にカストロを攻撃することでキューバ攻撃のミッションを承認しました。しかし1961年4月、ピッグス湾でアメリカは大敗しました(ピッグス湾事件)。
ケネディはCIAのトップを処分するなどをし、軍やCIAと仲が悪くなりました。
※ニクソン元副大統領は政権交代で離脱しましたが、戦友が処分されたので不愉快だったと思います。

その直後1961年5月にケネディ大統領は「1960年代中に人類を月に到達させる」と演説し、アポロ計画の支援を表明しました。
これはピッグス湾事件の作戦失敗により、支持率低下を恐れたために行われました。


アメリカの無人月面ミッション状況(月接近or月面衝突)

パイオニア0号ソー-エイブル1958.08.17月周回失敗 - 第一段の爆発により破壊
パイオニア1号ソー-エイブル1958.10.11フライバイ失敗 - ソフトウェアエラー
パイオニア2号ソー-エイブル1958.11.08月周回失敗 - 第三段のミスファイヤー
パイオニア3号ジュノーII 1958.12.06フライバイ失敗 - 第一段のミスファイヤー
パイオニア4号ジュノーII1959.03.03フライバイ失敗 - 目標に届かず
パイオニアP-1アトラスCエイブル1959.09.24月周回失敗 - 試験中にロケットが爆発
パイオニアP-3アトラスDエイブル1959.11.29月周回失敗 - 打ち上げに失敗し墜落
パイオニアP-30アトラスDエイブル1960.09.25フライバイ失敗 - 第二段の異常
パイオニアP-31アトラスDエイブル1960.12.15フライバイ失敗 - 第一段の爆発

この全滅の状況でケネディはアポロ計画のための演説を実施しました。

レインジャー1号アトラス・アジェナ1961.08.23テスト飛行失敗 - 第二段が作動せず
レインジャー2号アトラス・アジェナ1961.11.18テスト飛行失敗 - 第二段が作動せず
レインジャー3号アトラス・アジェナ1962.01.26月面衝突失敗 - ブースター誘導装置故障
→ここまで壊滅的な状況でした。

レインジャー4号アトラス・アジェナ1962.04.23月面衝突失敗 - コンピュータの故障
→月面写真を地球に送るというミッションは失敗しましたが、月面衝突は達成しました。しかし通信のできない月の裏側で激突しているにもかかわらず月面上の詳細な位置が公表されており、つまりこれは虚偽情報でした。(※レインジャー4号 参照)
実際には月にはたどり着いておらず、アメリカの偽装はここで始まりました。

その直後の1962年5月、カストロはソビエト連邦に軍事的支援を求めました。
→カストロはアメリカの月面衝突のニュースを受けて、宇宙開発競争相手のソ連と手を組みました。(おそらく偽装も見破ったうえでの行動です。)
※カストロとソ連を結束させてしまったことで、ニクソン元副大統領は月面ミッションの偽装に良い気はしなかったと思います(この時はジョンソンが副大統領)。

1962年10月キューバ危機(ケネディ大統領にその情報が入ったのは10月16日)

その2日後のレインジャー計画は予定通り打ち上げられました。
レインジャー5号アトラス・アジェナ1962.10.18月面衝突失敗 - 電力故障

しかし、その後レインジャー計画はおとなしくなりました。
キューバ危機があったことによるソ連との緊張状態も影響していたと考えています。

1963年11月22日ケネディ暗殺。
→軍需企業やCIA、FBIに暗殺されたという説があります。大きな予算が絡むのでアポロを推し進めたい人もいたかもしれません。

同じ民主党のジョンソン副大統領が繰り上げで大統領になってから、イケイケで月面ミッションは進んでいきました。
※ソ連に負けないため、利権のため、偽装もやむなしというスタンスでどんどん予算をかけてミッションは進められました。

レインジャー6号アトラス・アジェナ1964.01.30月面衝突失敗 - カメラの故障
レインジャー7号アトラス・アジェナ1964.07.28月面衝突成功 - 4308枚の写真を送信
レインジャー8号アトラス・アジェナ1965.02.17月面衝突成功 - 7137枚の写真を送信
レインジャー9号アトラス・アジェナ1965.03.21月面衝突成功 - 5814枚の写真を送信


アメリカの無人の月着陸の挑戦(月面軟着陸)

サーベイヤー1号アトラス・セントール1966.05.30月面軟着陸成功 - 11,000枚の写真を送信

ソ連は1966年1月に軟着陸を行い、その後1966年5月にアメリカも軟着陸も成功しました。
アメリカは1発目で成功するという異色の展開で偽装合戦も互角になりました。
ここでアメリカの月面ミッションは予算のピークを迎え、徐々に減少に向かいます。
ソ連と互角になったことで、ソ連の脅威が薄れたことも影響しました。

しかし偽装なので予算は削減される中でも圧倒的な成功率でミッションは進められました。

サーベイヤー2号アトラス・セントール1966.09.20月面軟着陸失敗 - 中間軌道修正に失敗
サーベイヤー3号アトラス・セントール1967.04.20月面軟着陸成功 - 6,000枚の写真を送信
サーベイヤー4号アトラス・セントール1967.07.14月面軟着陸失敗 - 通信断
サーベイヤー5号アトラス・セントール1967.09.08月面軟着陸成功 - 19,000枚の写真を送信
サーベイヤー6号アトラス・セントール1967.11.07月面軟着陸成功 - 30,000枚の写真を送信
サーベイヤー7号アトラス・セントール1968.01.07月面軟着陸成功 - 21,000枚の写真を送信


月軌道投入

ルナ・オービター1号アトラス・アジェナ1966.08.10月周回軌道成功 - 80日間のミッション
ルナ・オービター2号アトラス・アジェナ1966.11.06月周回軌道成功 - 339日間のミッション
ルナ・オービター3号アトラス・アジェナ1967.02.05月周回軌道成功 - 246日間のミッション
ルナ・オービター4号アトラス・アジェナ1967.05.04月周回軌道成功 - 180日間のミッション
ルナ・オービター5号アトラス・アジェナ1967.08.01月周回軌道成功 - 183日間のミッション


アポロ計画

アポロ1号(AS-204)サターン1B1967.02.21有人地球軌道失敗 - 打ち上げせず
→月面着陸に反対していた宇宙飛行士3人を殺害することが目的だったとも言われています。

アポロ2号(AS-203)サターン1B1966.07.05無人地球軌道成功 - アポロ2号は非公式
アポロ3号(AS-202)サターン1B1966.08.25無人弾道飛行成功 - アポロ3号は非公式
アポロ4号サターンV1967.11.09無人地球軌道成功
アポロ5号サターン1B1968.01.22無人地球軌道成功
アポロ6号サターンV1968.04.04無人地球軌道一部成功
アポロ7号サターン1B1968.10.11有人地球軌道成功
アポロ8号サターンV1968.12.21有人月軌道成功
→ここでアメリカがソ連にはじめて勝ちました。

1969年1月20日、共和党のニクソン元副大統領が大統領に就任しました。
月面ミッションは民主党が打ち出した政策だがニクソンは共和党。
無駄な予算と感じても、既に引くに引けない状態になっており、偽装は続けられました。
しかし、予算は大きく削減しリストラをするなど、アポロ計画(宇宙開発計画)は乗り気でありませんでした。

アポロ9号サターンV1969.03.03有人地球軌道成功
アポロ10号サターンV1969.05.18有人月軌道成功
アポロ11号サターンV1969.07.16有人月面着陸成功
アポロ12号サターンV1969.11.14有人月面着陸成功
アポロ13号サターンV1970.04.11有人月面着陸失敗

1970年にはニクソン大統領がケネディ宇宙センターの大規模なリストラを発表しました。

アポロ14号サターンV1971.01.31有人月面着陸成功
アポロ15号サターンV1971.07.26有人月面着陸成功
アポロ16号サターンV1972.04.16有人月面着陸成功
アポロ17号サターンV1972.12.07有人月面着陸成功

なぜアポロ13号の失敗で終わらせなかったか?
そもそも世間の注目を得るためのパフォーマンスであり、NASAを計画的にリストラするシナリオは既にできていたからです。アポロを中止して大量の失業者を一気に作ったら社会問題になりかねませんでした。
また、ミッション失敗で終わらせるのではなく、成功裏に縮小させていく方が対ソ連においても対国民においても都合がよかったのです。
もう一つ言えることは、敵を作ることにより、(自分が大統領の間に)偽装がばらされる心配と暗殺される恐怖もあったのではないかと思います。ニクソンはケネディ暗殺の真犯人(首謀者)を知っていたと考えています。中にはアポロを進めたかった人もいたということです。


結論

今回の記事で私が出した結論は、アポロ計画で月面着陸を本気で行おうとしていたのではなく、アポロは単にケネディが作り出した政治的なプロパガンダ(宣伝)にすぎなかったということです。


アポロ計画捏造説#61 につづく

アポロ計画捏造説#59 アポロ計画で使った費用のこと

アポロ計画捏造説#58 では、WikipediaのBudget of NASA(NASAの予算)を訳してみました。

今度は訳した内容について少しまとめてみたいと思います。


アポロ計画の総費用は約14兆円
「アポロの総費用は1969年のドルの価値で200億ドルから254億ドルの間であり、当時の254億ドルは2007年のドルの価値で1360億円」と書かれていました。
1360億円は13.9兆円になります。(2016.9.7時点)

この額が一体どれくらいなのかについてなのですが、おもしろい例を紹介しているサイトがありました。
のびやかな暮らし - 「人類は月に行っていない」が嘘?~アポロは月へ行っている?
それによると、13兆円というのは日本全土に新幹線を走らせることができるくらいの費用になるということです。(詳しい根拠や説明は上のサイトに書かれています。)
この方はアポロ肯定派でこれだけの費用をかける以上偽装はありえないという主張なのですが、私はアポロねつ造派なので残念ながらこれだけの費用を偽装のために使ったという主張になります。(面白い話ですね。)

他にもこのようなニュースが参考になります。
政治利用されるリニア新幹線のお先真っ暗な“未来予想図”
ここでは東京ー大阪間のリニア新幹線が12兆から13兆円になるだろうと書かれています。
それだけのコストを月面着陸を偽装し、ソ連との宇宙開発戦争のために使い果たしました。


打ち上げ1回あたりのコスト
これは既にそういった記事がネットにあるのでそこから引用します。
U.S. Piloted Programs Costs
  • マーキュリー計画(6回): 2億6500万ドル/フライト(273億円/フライト)
  • ジェミニ計画(10回): 7億2300万ドル/フライト(745億円/フライト)
  • アポロ計画(11回): 99億ドル/フライト(1兆円/フライト)
  • アポロ計画-月面着陸(6回): 180億ドル/フライト(1.8兆円/フライト)
※ドルは2010年の価値に換算済み。円は2016.9.7時点。
全ては確認していないですが、少なくともジェミニ計画でも偽装があったことは既に分かっています(※アポロ計画捏造説#39 アポロの正確すぎる地球帰還 参照)。


NASAの予算は1966年がピーク
表では1966年の予算がピークで、1965年の雇用者数がピークとなっていました。
アポロ1号が1967年なので、アポロ計画が始まる時には既にNASAの予算は削減方向に進んでいました。
アポロ1号は宇宙飛行士3名が死亡する火災事故が起きており、司令船の設計変更なども行ったりもしています。しかし、アポロ計画遂行期になってもコスト削減の方向はかわってないです。
しかも1970年にはニクソン大統領はコスト削減を打ち出し、ケネディ宇宙センターのリストラを始めたりもしました。(※Wikipeida - ケネディ宇宙センター 参照。注:NASAのリストラではないです。)
アポロ計画は1972年まで行われているのにも関わらず、です。

NASAの雇用者数もピーク時の4万人超(1965年)から2万8千人(1972年)になってました。NASAはリストラかどうかは分からなくて、ひょっとしたら組織の流動的な人員異動かもしれないです。いずれにしろ大がかりな人員削減が行われたことには変わりなくて、アポロ計画が行われていた1969年から1972年までの4年間、平均して毎日4人がNASAを去っていました。徹底したコスト管理と言えば聞こえはいいですが、この数は異常すぎです。
ケネディ宇宙センターのリストラは1974年まで行い、ピーク時の26,000人(1968年)から、10,000人(1974年)になりました。
※この時期大統領はケネディ大統領(民主党)、ジョンソン大統領(民主党)、ニクソン大統領(共和党)と変わっており、政策の違いや考え方の違いもあったかもしれないです。ここら辺は改めてまとめたいなと思ってます。

ニクソン大統領は偽装に大金をかけるのが気に入らなかったのではないかと思いました。それに、本当に月に着陸していたとしたら、アポロ計画の行われているさなかにこのように危険で士気の落ちる政策はできなかったと思います。危険にさらすくらいなら、計画の中止をしたはずです。
※このように書くとニクソン大統領がコスト削減の原因に見えますが、ジョンソン大統領の時には既にピークを迎え削減傾向になっていたことを付け加えておきます。


当時のNASAは爆買い組織
こちらは余談ですが、このようなNASAの資料があります。
Project Apollo: A Retrospective Analysis(アポロ計画:回顧分析)
ここには次のように書かれています。
during the 1960s somewhere between 80 and 90 percent of NASA's overall budget went for contracts to purchase goods and services from others.
1960年代、NASAの全体的な予算の80-90%は他人からの商品やサービスを購入する契約のために使われました。

大きなところではこのようなものに使われました。
  • サターンVロケットを作ったボーイング、ノース・アメリカン、ダグラス、IBM
  • 司令・機械船(CSM)を作ったノース・アメリカン航空
  • 月着陸船(LM)を作ったグラマン社
  • 打ち上げ脱出システムを作ったロッキード
  • アポロ誘導コンピュータ(AGC)はIBM
  • 月面車はポルシェとボーイング
  • カメラはハッセルブラッド、ウェスティングハウス、RCA
  • 宇宙服はILCやDu Pont
  • ブーツはGE(General Electric Company)
  • 腕時計はオメガ
  • ボールペンもFisher社が独自に開発
  • 宇宙食はオレゴンフリーズドライ社やNATIC研究所
  • あと、サターンVロケットを打ち上げたケネディ宇宙センターの建設もありますね。
(※アポロ計画捏造説#38 アポロ計画に関わった主な企業・組織・団体 参照)

NASAの予算(連邦予算の2%~4%)の大部分が毎年こういった企業に使われていたというのも重要なポイントかと思います。


アポロ計画捏造説#60 につづく

アポロ計画捏造説#58 WikipediaのBudget of NASA(NASAの予算)を訳してみました

アポロ計画捏造説#57 では、アポロで行われた実験についてまとめました。

今度はWikipediaのBudget of NASA(NASAの予算)を訳してみました。
間違ってるところがあったらそれはごめんさい。

このページはWikipediaのページを訳しただけの公平な内容ですが、ブログ全体はアポロ捏造説について書かれています。人によっては受け付けないと思いますので、そういう人は他のページは参照されないよう、くれぐれもご注意ください。

Budget of NASA(NASAの予算)

NASA記章
概要
設立: 1958年7月29日
年間予算: 193億ドル
(2016年は総予算約4兆ドル
の約0.486パーセント)
連邦政府機関として、国立航空宇宙局(NASA)は、米国議会によって決定される年間連邦予算から資金を得ています。以降に記載してあるチャートは航空学の研究、有人無人の宇宙探査プログラム活動を行うための過去50年の歴史(1958-2009)のそれぞれの年にNASAに割り当てられた連邦政府の予算の詳細を示しています。


年間予算、1958年-2015年

以下に記載されている年ごとの内訳を見ると、NASAの1958年から2011年までの予算の合計総額(名目上のドルで)は5261.78億ドルに達し、年平均で99.28億ドルとなっています。比較として、国立科学財団(NSF)は1015億ドル、つまり年20億ドルであり、NASAの支出のおよそ1/5でした。NASAの2011年度の会計予算184億ドルは、アメリカの連邦予算3.4兆ドルの約0.5%を占め、アメリカの科学技術研究の総支出の約35%となっていました。行政予算管理局と空軍年鑑によれば、(インフレの調整をした)実質ベースで測定すると、総額は7900億ドル、つまり50年の歴史において年平均158.18億ドルとなっています。
1958年から2012年までの期間における
連邦予算全体から見たNASAの予算の割合

NASAの年間予算の履歴(100万USドル)
会計年度
NASAの予算
名目上ドル(100万)
連邦予算の割合%
2014年換算ドル(100万)
1958
89
0.10%
732
1959
145
0.20%
1,185
1960
401
0.50%
3,222
1961
744
0.90%
5,918
1962
1,257
1.18%
9,900
1963
2,552
2.29%
19,836
1964
4,171
3.52%
32,002
1965
5,092
4.31%
38,448
1966
5,933
4.41%
43,554
1967
5,425
3.45%
38,633
1968
4,722
2.65%
32,274
1969
4,251
2.31%
27,550
1970
3,752
1.92%
23,000
1971
3,382
1.61%
19,862
1972
3,423
1.48%
19,477
1973
3,312
1.35%
17,742
1974
3,255
1.21%
15,704
1975
3,269
0.98%
14,452
1976
3,671
0.99%
15,345
1977
4,002
0.98%
15,707
1978
4,164
0.91%
15,190
1979
4,380
0.87%
14,349
1980
4,959
0.84%
14,314
1981
5,537
0.82%
14,488
1982
6,155
0.83%
15,170
1983
6,853
0.85%
16,365
1984
7,055
0.83%
16,150
1985
7,251
0.77%
16,028
1986
7,403
0.75%
16,065
1987
7,591
0.76%
15,893
会計年度
NASAの予算
名目上ドル(100万)
連邦予算の割合%
2014年換算ドル(100万)
1988
9,092
0.85%
18,280
1989
11,036
0.96%
21,168
1990
12,429
0.99%
22,618
1991
13,878
1.05%
24,235
1992
13,961
1.01%
23,668
1993
14,305
1.01%
23,546
1994
13,695
0.94%
21,979
1995
13,378
0.88%
20,879
1996
13,881
0.89%
21,042
1997
14,360
0.90%
21,280
1998
14,194
0.86%
20,712
1999
13,636
0.80%
19,467
2000
13,428
0.75%
18,547
2001
14,095
0.76%
18,940
2002
14,405
0.72%
19,045
2003
14,610
0.68%
18,885
2004
15,152
0.66%
19,078
2005
15,602
0.63%
19,001
2006
15,125
0.57%
17,844
2007
15,861
0.58%
18,194
2008
17,833
0.60%
19,700
2009
17,782
0.57%
19,714
2010
18,724
0.52%
20,423
2011
18,448
0.51%
17,833
2012
17,770
0.50%
17,471
2013
16,865
0.49%
17,219
2014
17,647
0.50%
17,647
2015
18,010
 
 
2016 (最終的な支出法案)
19,300
 
 
2017
(計画)
18,807
 
 
2018
(計画)
19,089
 
 
2019
(計画)
19,375
 
 
2020
(計画)
19,666
 
 
※赤字はアポロ計画が行われていた時期(色を付けたのは見やすくするための個人的な理由です)。1961年にケネディ大統領がアポロ計画を公表し、1969年~1972年に6回の月面着陸を行いました。


NASA雇用者数

年度
総計
NASA
(社内)
雇用者数
請負業者
(社外)
雇用者数
#
 %
#
 %
1959
Unknown
9,235
 
 
 
1960 46,700
~13,500
~29%
~33,200
~71%
1961 75,000
~17,300
~23%
~57,800
~77%
1962 139,200
~22,300
~16%
~117,000
~84%
1963 284,300
~37,000
~13%
~247,300
~87%
1964 379,600
~38,000
~10%
~341,600
~90%
1965
411,000
ピーク
~41,100
~10%
~369,900
~90%
1966 396,000
~31,700
~8%
~364,300
~92%
1967 309,100
~37,100
~12%
~272,000
~88%
1968 246,200
~29,500
~12%
~216,700
~88%
1969
~218,000
34,197
~16%
~180,000
~84%
1970
 
32,779
 
 
 
1971
 
30,678
 
 
 
1972
 
28,501
 
 
 
1973
 
26,855
 
 
 
1974
 
26,068
 
 
 
1975
 
25,683
 
 
 
1976
 
25,482
 
 
 
1977
 
24,241
 
 
 
1978
 
23,850
 
 
 
1979 43,312 23,360
~54%
19,952
~46%
1980 43,764 22,470
~51%
20,294
~49%
1981 44,436 22,736
~51%
21,700
~49%
1982
42,399
最低
22,310
~53%
20,089
~47%
1983 43,196 22,534
~52%
20,662
~48%
1984 44,735 21,870
~49%
22,865
~51%
1985 46,784 22,316
~48%
21,423
~52%
1986 45,647 21,960
~48%
23,687
~52%
1987 44,379 22,646
~51%
21,733
~49%
1988 52,224 22,823
~44%
29,401
~56%
1989
 
22,893
 
 
 
1990
 
24,566
 
 
 
1991
 
25,741
 
 
 
1992
 
25,421
 
 
 
1993
 
24,731
 
 
 
1994
 
24,265
 
 
 
1995
 
23,075
 
 
 
1996
 
19,693
 
 
 
1997
 
21,508
 
 
 
1998
 
20,238
 
 
 
1999
 
19,272
 
 
 
2000
 
18,981
 
 
 
2001
 
18,872
 
 
 
2002
 
19,073
 
 
 
2003
 
18,999
 
 
 
2004
 
19,097
 
 
 
2005
 
19,388
 
 
 
2006
 
18,737
 
 
 
2007
 
18,527
 
 
 
2008
 
18,520
 
 
 
2009
 
18,567
 
 
 
2010
 
18,618
 
 
 
2011
 
18,744
 
 
 
2012
~79,000
~19,000
~24%
~60,000
~76%
※赤字はアポロ計画が行われていた時期(色を付けたのは見やすくするための個人的な理由です)。1961年にケネディ大統領がアポロ計画を公表し、1969年~1972年に6回の月面着陸を行いました。


アポロ計画のコスト

NASAの予算はアポロ計画の
行われている1966年にピークに
達しました。
NASAの予算は1964年から1966年にピークに達し、その時は連邦政府支出の約4%を消費しました。NASAは初めての月面着陸を成し遂げました。アポ計画にはNASAの34,000人の従業員と企業や大学の375,000人の請負業者が従事しました。

1966年3月に、NASAの職員は、1959年から72年までにアポロ計画で使い果たしたコストは推定227.18億ドルになるだろうと議会で話しました。総費用は1969年のドルの価値で200億ドルから254億ドルの間(2007年のドルの価値では約1360億ドル)であることが判明しました。

アポロ宇宙船とサターンロケットのコストは2005年のドルの価値で約830億ドルにもなりました。アポロ宇宙船のコストが280億ドル、これには司令船・機械船の170億ドルと月着陸船の110億ドルが含まれています、それと打ち上げロケット(サターンI、サターンIB、サターンV)が2005年のドルの価値で約460億ドルでした。


NASAの資金の経済的な影響

ミズーリ州カンザスシティのMRIGlobal(旧ミッドウェスト研究所)によって発表された論文「刺激的な技術的活動の経済的な影響」中に書かれている「通信衛星の技術的進歩と商業化」によると、NASAの1971年11月の調査は、1958年から1969年の間に民間人の宇宙の研究開発で使った250億ドル(1958年のドルの価値で)は、1971年には520億ドルに膨らんでおり、この投資を返すための割引率が33%で続くと、完済するには1987年までかかり、その時には総支払額は1810億ドルになっているだろう、と結論付けました。

英国の科学誌ネイチャーの1992年の解説で、次のようなレポートがありました。
NASAのプログラムの経済的な利益は、一般的に理解されているよりもずっと大きい。主に恩恵を受けているのはアメリカ国民であるが、その幸運の由来を理解さえしていないかもしれない。

NASAの経済的影響におけるその他の統計は、1976年のチェイス計量経済学・アソシエイツ社のレポートで見ることができ、1989年のチャップマンの研究レポートによっても裏打ちされています。その中では、1976年から1984年の8年間で、NASAのテクノロジーの非宇宙への259の応用が分析され、さらに次のようなことも判明しました。
  • 216億ドルの売り上げ高と利益
  • 352,000人の(主に技術職の)雇用創出
  • 3550億ドルの連邦法人所得税
ネイチャーの解説によると、これら259の応用で「たった1%に当たる推定25,000から30,000しか宇宙プログラムの副産物を得られなかった」と表しています。

2014年、アメリカヘリコプター協会は、回転翼航空機の年間予算が2000年の5000万ドルから2013年には2300万ドルになり商業機会にも影響を与えるということで、NASAと政府を批判しました。


一般の認識

宇宙飛行で一歩先を行く初期のソビエトによってもたらされた国家安全保障上の脅威が、インフレを調整したドルの額面においても連邦予算の総額からのパーセンテージ(1966年で4.41%)の観点においても、NASAの予算をピークにしました。しかし、宇宙開発競争のアメリカの勝利-月面の有人着陸-は、認識されていた脅威を消失させ、そしてNASAは地球軌道の再利用可能なシャトル、恒久的な宇宙ステーション、月面基地、また有人火星ミッションといった、より一層のチャレンジを伴う宇宙輸送システムというビジョンのための政治的な支援を維持することはできませんでした。唯一規模の縮小したスペースシャトルだけが承認され、NASAの予算は1976年にはちょうど1%に引き下げられ、そして1986年には0.75%にまで減りました。その後1992年には1.01%と少し増加しましたが、2013年には約0.49%に低下しました。

アメリカ国民は、一般的に、連邦予算におけるNASAの予算の割合が実際よりも多いと考えています。1997年の世論調査ではアメリカ人は連邦政府予算のNASAの割合が平均して20%と見積もられており、1990年代後半や2000年の最初の10年を通じて維持されていた1%以下という値、実際には0.5%と比べてはるかに高い数値だった。ほとんどのアメリカ人が2009年の個人所得税を通じてNASAに支払ったのは9ドル未満と推定されました。

しかし、NASAの予算を1970年から1990年のレベルに資金を戻そうとするロビー活動と同様に、一般認識と現実の値の不一致を伝えるための動きが近年みられています。2012年3月に行われた米国上院の科学委員会で、天体物理学者ニール・ドグラース・タイソンは「NASAの年間予算はあなたの税金1ドルの中の1セント硬貨半分ぶんにしか相当しない。これを2倍にすることで、悲観的で意気消沈しそして疲弊した経済闘争の国から明日への夢のある20世紀として与えられるべき権利を持てる国に、私たちは変えていくことができる。」と証言しました。タイソンの擁護発言に触発され、Penny4NASAキャンペーンがジョン・ツェラーによって2012年に始まり、NASAの予算が2倍の連邦予算の1%、すなわち「1ドル中の1セント」になりました。

国民が認識できるよう、そしてNASAが資金提供するプログラムと技術がどれだけ大きな利益をもたらすかという意識を高めるのに、NASAはスピンオフの出版物を出すことにしました。これは技術利用プログラムレポートの直接の派生物で、利用可能なNASAの技術や支援情報を受けるための現在進行中の要求事項について科学界に知らせるための出版物でした。NASAのスピンオフに書かれたページによれば、これらのレポートに書かれた技術によって、技術移転コンセプト、その成功、一般にも認識できるツールとしての利用といった面で関心を広めることができました。レポートは一般の人々の強い関心を得て、NASAはそれらのレポートを魅力的な出版物にすることに決めました。このようにして、スピンオフの最初の4色カラー版が1976年に出版されました。


関連法規

  • 1961— Apollo mission funding PL 87-98 A
  • 1970— National Aeronautics and Space Administration Research and Development Act, PL 91-119
  • 1984— National Aeronautics and Space Administration Authorization Act, PL 98-361
  • 1988— National Aeronautics and Space Administration Authorization Act, PL 100-685
  • 2005— National Aeronautics and Space Administration Authorization Act of 2005, PL 109-155
  • 2010— National Aeronautics and Space Administration Authorization Act of 2010
  • 2014– (proposed) National Aeronautics and Space Administration Authorization Act of 2014 (H.R. 4412; 113th Congress)

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