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アポロ計画捏造説#62 ねつ造派の視点で見た米ソ宇宙開発競争

アポロ計画捏造説#61 では、 ソ連側の宇宙開発の基礎知識についてまとめました。

次は宣言通り、米ソ宇宙開発競争について、ねつ造派の視点でまとめてみたいと思います。

アメリカの宇宙開発とソ連の宇宙開発を時系列で比較します。

1957年10月ソ連世界初の人工衛星(スプートニク1号)

スプートニク・ショックが起こり、米ソ宇宙開発競争の火ぶたが切られました。
アメリカは慌ててエクスプローラ計画を進行しました。
地上200km-900kmの高度を92日間周回したと報告されました。途中22日目で電池は切れていました。
大きさは直径58cmの球状であり、200km先のこの小さな物体をどのようにトレースしていたかの情報がありません。
この点において、虚偽の情報発信はまちがいなく行われていました。

1959年1月ソ連月に5,995kmまで近接(ルナ1号)

地球を脱出する速度に達した初めての宇宙船。
月に届かなかった理由はプログラミングのエラーのため上段の燃焼時間が間違っていた、という説明になっています。
情報が少ないため、真偽の確認のとりようがないですが、前後のミッションの状況から判断すれば、虚偽の公表もあったと考えられます。

1959年9月ソ連月の表面に到達(ルナ2号)

ルナ2号自体には、推進装置は付いていませんでした。
つまり打ち上げロケットから切り離された後、一切の軌道修正なく、一直線に月を目指して突っ込んだことになります。
33時間かけて38万キロ先の月にまっすぐにたどりつくということは、普通に考えて現実離れしており不可能です。
この時既にソ連は偽装していました。
以降も数多く月探査機は打ち上げられましたが、次に月にたどり着いたのは6年後の1965年になります。

1959年10月ソ連月の裏側を撮影(ルナ3号)

軌道修正のためのロケットエンジンは備えていませんでした。
しかし月にたどり着き、月の裏側を通過して、地球大気圏にまで戻ってきました。
アポロ計画で使われた自由帰還軌道と同様で、このような軌道はありえないです。
(※#34 月への軌道や宇宙速度のこと 参照)

1961年4月ソ連人類初の有人宇宙飛行(ボストーク1号)

ガガーリンが「地球は青かった」と語りました。※厳密には違うらしい
打ち上げ成功直後にソ連政府は「ガガーリン少佐を乗せたボストークが軌道周回中」と発表しました。
ソ連は決してミッション前に公表はしませんでしたが、ミッションの確実な成功を確信して公表したとすれば、ガガーリンはボストークに乗っていなかった可能性があります。

1961年5月ケネディ大統領がアポロ計画を起案

ソ連におくれを取ったアメリカがアポロ計画を宣言しました。
ソ連の有人宇宙飛行の成功もありますが、その裏にはピッグス湾事件の失敗も含まれていました。
ソ連の偽装には気づいていたかもしれません。ただ、アメリカが偽装に手を染めるには、ここから約1年の歳月がかかりました。
(※#60 月面ミッションとそれに関わった3人の大統領 参照)

1962年4月月面到達(レインジャー4号)

これが偽装なのは既に説明しました。(※#60 月面ミッションとそれに関わった3人の大統領 参照)
アメリカも偽装に手を染めました。

1965年3月ソ連史上初の宇宙遊泳(ボスホート2号)

アメリカのジェミニ計画の対抗です。
準備中にフルシチョフが失脚したが計画通り行われました。
宇宙遊泳の様子はテレビ放送され、ブレジネフ書記長らソ連の首脳から祝福のメッセージが送られました。
決してミッション前に公表しないソ連が、しかも最高指導者の政権交代の真っ最中に、数分遅延だったとしても、このような危険なミッションをテレビ放送することは考えられません。
まちがいなく宣伝利用であり、偽装しています。

1965年5月ソ連2度目の月面衝突(ルナ5号)

軟着陸を目指したが失敗して衝突となっています。ソ連の月面衝突は6年ぶりでした。
直前の1964.7、1965.2、1965.3にアメリカはレインジャー計画で3度連続で月面衝突を成功しました。
アメリカの成功に焦ってソ連の偽装も復活しました。

1965年6月アメリカも船外活動(ジェミニ4号)

ソ連の宇宙遊泳の成功に対抗し、体を船外に乗り出すだけの計画を変更して23分間に渡っての本格的な船外活動を行いました。
しかし、ジェミニ計画も偽装でした。(※#39 アポロの正確すぎる地球帰還 参照)

1966年1月ソ連月の軟着陸に成功(ルナ9号)
1966年5月月の軟着陸に成功(サーベイヤー1号)

ソ連は軟着陸ミッション12回目にしてやっと成功させました。
対するアメリカは1度目のチャレンジで成功させています。
ソ連はアメリカの追随に焦り、アメリカはソ連に追いつくことと60年代期限のアポロ成功に焦っての、偽装合戦となりました。

1967年2月打ち上げ失敗で宇宙飛行士死亡(アポロ1号)
1967年4月ソ連帰還時に宇宙飛行士死亡(ソユーズ1号)

アポロ1号は月面着陸に反対していた宇宙飛行士3人を殺害することが目的だったとも言われています。多数の欠陥が見つかり司令船は再設計となりました。
ソユーズ1号は多数の欠陥を認識しながら無理やり打ち上げられました。その結果宇宙飛行士が死亡する事故が発生しました。有人宇宙飛行の歴史における、最初の飛行中の事故による死者となりました。

1969年7月ソ連月の軟着陸に失敗(ルナ15号)・・・アポロ11号着陸の数時間前
1969年7月月面有人着陸に成功(アポロ11号)

米ソの明暗を分けた結果になりました。
両者偽装合戦なのに、なぜソ連がアメリカに譲ったのか、私はこのように考えています。

ソ連はアメリカが成功することは知っていました。その上でアメリカが偽装がばれて自滅することを願っての賭けに出ました。つまり、火の粉が当たらないよう自分たちは失敗を演出したのです。ただし、ソ連の口からアメリカの偽装を指摘することは、決してできませんでした。(※#22 アポロ捏造派への指摘 Part 2 参照)

1970年9月ソ連無人機で月のサンプルリターンに成功(ルナ16号)

このとき既にアポロは11号と12号の2つが月有人着陸に成功していました。
サンプルリターンはこの後1972年2月のルナ20号、1976年8月のルナ24号でも行われました。
全てのミッションで偽装工作が行われました。

1970年11月ソ連月軟着陸後、月面車ルノホートで探索(ルナ17号)

ルノホートはこの後1973年1月のルナ21号でも使われました。(計2台)
全てのミッションで偽装工作が行われました。

1971年6月ソ連地球帰還に失敗し宇宙飛行士死亡(ソユーズ11号)

世界初の宇宙ステーション、サリュート1号へのドッキングに初めて成功したのですが、地球帰還時のトラブルで宇宙飛行士は全員死亡しました。
このミッションはアポロ14号と15号の間のことで、この事故によってソ連はアポロに完全敗北となりました。

1975年7月米ソ米ソ宇宙船がドッキングして合流(アポロ・ソユーズテスト計画)

米ソによる宇宙開発競争の時代も終了となりました。
これも失敗の許されないミッションなので、すべては偽装の上で演出が行われました。



アポロ計画捏造説#63 につづく

3 件のコメント:

  1. G3です。

    もう、お見事!と言うほかありません。

    宇宙開発は米ソの捏造合戦だったということですね。

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    返信
    1. わいあんです。

      コメントありがとうございます。

      ここのページの情報源はほとんどがWikipediaですが、それでまとめても、すべてはねつ造だったという結論にしかならなかったです。

      ソ連の偽装は最初は軽い気持ちだったのかもしれないなと思いました。
      人工衛星飛ばして、月に行って、月の裏側の写真撮って、どうだすごいだろ、これからは共産主義の時代なんだぞって、言いたかっただけなんじゃないかと思いました。

      そして有人飛行もやったらアメリカが噛みついてきて、ウィーン会談(ベルリンの壁のきっかけ)とキューバ危機で決別して、両者引っ込みつかない状態に陥っちゃったのかなぁと、思いました。

      ソ連の本当の実力は、アメリカとそう大きくは変わらなかったんじゃないかと思うのです。
      それが1967年4月のソユーズ1号の死亡事故につながったと私は考えています。

      では。
      わいあん

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  2. 軌道を確定させれば観測できるし、軌道計算もできてないし、そもそも兵器になれる物体が成功したって虚偽の報告をしたのがバレれば冷戦なんだしガンッガンに煽れる切り札になってしまうだろうに
    それこそ自分はミサイル技術ないよーって言うようなもの。ねつ造する意義がない
    宣伝利用だったらなおさら国力ありません!ってバカみたいに語ってるのと同義だし、そこからつながってるあなたの理論がどこまで行っても妄想の域を出ていない

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