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アポロ計画捏造説#61 ソ連側の宇宙開発の基礎知識

アポロ計画捏造説#60 では、月面ミッションとそれに関わった3人の大統領についてまとめました。

そこのコメント欄で、「次は米ソ宇宙開発競争について、ねつ造派の視点でまとめてみたい」と書きました。

ただ、ソ連側の宇宙開発のことを良く知らないので、まずは基礎知識を確認することにします。

背景

アメリカとソ連は第二次世界大戦で勝利し2大強国となったが、資本主義と社会主義の思想で世界的な対立が始まりました(冷戦)。その対立は軍事、外交、経済だけでなく、宇宙開発や航空技術、文化、スポーツなどにも大きな影響を与えました。宇宙開発は軍事技術の指標となり得ることもあり、積極的に推し進められました。


ソ連の宇宙開発計画

スプートニク計画無人人工衛星の計画
コスモス衛星人工衛星(技術開発衛星、航行衛星、軍事衛星などさまざま、失敗ミッションに割り当てられることもある)
ボストーク計画有人宇宙船の名前(ボストークとボスホートのミッションの目的はほぼ同じ)
ボスホート計画有人宇宙船の名前(ボストークとボスホートのミッションの目的はほぼ同じ)
ルナ計画月を目標にし、月探査機を着陸・衝突させることを目的
ゾンド計画惑星探査機の試験 / ソユーズ有人月飛行のための無人試験
ソユーズ計画有人月旅行計画(ボスホートの後継 / 有人月旅行は実現されなかった / 宇宙ステーション往還に使用)
ソユーズL1計画有人月接近飛行(実体はゾンド計画)
ソユーズL3計画有人月着陸(1974年に計画は中止され実現しなかった)
アポロ・ソユーズテスト計画1975年に行われた米ソ宇宙船のドッキング


政治指導者

ニキータ・フルシチョフ
第4代最高指導者
任期: 1953年3月14日 - 1964年10月14日
※1961年のウィーン会談では、ケネディ大統領と対立し、ベルリンの壁の構築にまで至る。

レオニード・ブレジネフ
第5代最高指導者
任期: 1964年10月14日 - 1982年11月10日
※1971年以降、ニクソン大統領と米ソの関係改善に尽力。



宇宙開発関係者

セルゲイ・コロリョフ
ソ連の宇宙開発の責任者(アメリカの宇宙開発の責任者はウェルナー・フォン・ブラウン)
1966年1月に癌で死亡した。
アメリカがコロリョフの存在を知ったのは彼の死後。
ヴァシーリー・ミシンが継ぐが活躍はできなかった。

ユーリ・ガガーリン
ボストーク1号に乗り込んだ宇宙飛行士
「地球は青かった」と語った。(※厳密には違うらしい)
1968年に墜落事故で死亡したが、捏造説などもある。


スプートニク - ソ連の無人人工衛星の計画

スプートニク1号
1957年10月
成功 - 【世界初の人工衛星】
※宇宙開発競争の火ぶたが切られた
スプートニク2号
1957年11月
成功 - ライカという名の犬を乗せて飛行。大気圏再突入で消滅
スプートニク3号
1958年5月
成功 - 地球周回、大気圏再突入で消滅
スプートニク4号
1960年5月
失敗 - 地球周回後の大気圏再突入に失敗(1962年9月アメリカに破片が落下)
スプートニク5号
1960年8月
成功 - 動物を乗せ、地球周回軌道上に打ち上げ、帰還に成功
スプートニク7号
1961年2月
失敗 - 金星を目指していたが失敗
※スプートニク4号、5号はボストークのテスト飛行も兼ねており、有人ミッションのボストーク計画へ続く


ボストーク - ソ連の有人宇宙飛行計画(ボストークは宇宙船の名前)

ボストーク1号
1961年4月
成功 - 【人類初の有人宇宙飛行】-ガガーリン
ボストーク2号
1961年8月
成功
ボストーク3号
1962年8月
成功 - ボストーク3号と4号でランデブー
ボストーク4号
1962年8月
成功 - ボストーク3号と4号でランデブー
ボストーク5号
1963年6月
成功 - ボストーク5号と6号でランデブー
ボストーク6号
1963年6月
成功 - ボストーク5号と6号でランデブー


ボスホート - ソ連の有人宇宙飛行計画(宇宙船の名前だが無人のものはコスモスとなっている)

コスモス47号
1964年10月
成功 - ボスホートの無人試験飛行
ボスホート1号
1964年10月
成功 - 史上初の複数人による宇宙飛行
コスモス57号
1965年2月
失敗 - 無人試験飛行
ボスホート2号
1965年3月
成功 - 【史上初の宇宙遊泳】(トラブルは多かった)
コスモス110号
1966年2月
成功 - 無人試験飛行(ソ連初の生物実験 - 【宇宙犬】
ボスホート3号
1966年6月(予)
中止 - 正式なキャンセルはなく、自然消滅したことになっている
ボスホート4号
1967年秋(予)
中止 - ボスホート2号の災害とコロリョフの死によりキャンセル
ボスホート5号
1966年後期(予)
中止 - ソユーズと月面着陸プログラムに集中するためキャンセル
ボスホート6号
1967年初期(予)
中止 - 1966年春にキャンセル



ルナ計画 - ソ連の月探査計画(打ち上げに失敗したものはコスモスとなっている)


ルナ1958A
1958年9月
衝突
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ1958B
1958年10月
衝突
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ1958C
1958年12月
衝突
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ1号
1959年1月
衝突
失敗 - 月近傍5,995kmを通過【地球を脱出】
ルナ1959A
1959年6月
衝突
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ2号
1959年9月
衝突
成功 - 【月の表面に到達】
ルナ3号
1959年10月
周回
成功 - 【月の裏側の様子を撮影】
ルナ1960A
1960年4月
近接
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ1960B
1960年4月
近接
失敗 - 打ち上げ失敗
スプートニク25号
1963年1月
軟着陸
失敗 - 地球軌道離脱に失敗
ルナ1963B
1963年2月
軟着陸
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ4号
1963年4月
軟着陸
失敗 - 月の軟着陸を目指したが失敗して月を外れた
ルナ1964A
1964年3月
軟着陸
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ1964B
1964年4月
軟着陸
失敗 - 打ち上げ失敗
コスモス60号
1965年3月
軟着陸
失敗 - 打ち上げ失敗(そのためルナの名称が与えられなかった)
ルナ1965A
1965年4月
軟着陸
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ5号
1965年5月
軟着陸
失敗 - 月の軟着陸を目指したが失敗して月に衝突した
ルナ6号
1965年6月
軟着陸
失敗 - 月の軟着陸を目指したが失敗して月を外れた
ルナ7号
1965年10月
軟着陸
失敗 - 月の軟着陸を目指したが失敗して月に衝突した
ルナ8号
1965年12月
軟着陸
失敗 - 月の軟着陸を目指したが失敗して月に衝突した
ルナ9号
1966年1月
軟着陸
成功 - 【月の軟着陸に成功した】
コスモス111号
1966年3月
周回
失敗 - 打ち上げ失敗(そのためルナの名称が与えられなかった)
ルナ10号
1966年3月
周回
成功 - 月の周回軌道に乗ることに成功
ルナ11号
1966年8月
周回
成功 - 月を周回しながら観測を行った
ルナ12号
1966年10月
周回
成功 - 月を周回しながら観測を行った
ルナ13号
1966年12月
軟着陸
成功 - 月の軟着陸に成功した
コスモス159号
1967年5月
周回
失敗 - 地球軌道離脱に失敗
ルナ1968A
1968年2月
周回
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ14号
1968年4月
周回
成功 - 月を周回しながら観測を行った
ルナ1969A
1969年2月
軟着陸
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ1969B
1969年4月
帰還
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ1969C
1969年6月
帰還
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ15号
1969年7月
帰還
失敗 - 月の軟着陸に失敗し月に衝突(アポロ11号が着陸する数時間前のこと)
コスモス300号
1969年9月
帰還
失敗 - 打ち上げ失敗(そのためルナの名称が与えられなかった)
コスモス305号
1969年10月
帰還
失敗 - 打ち上げ失敗(そのためルナの名称が与えられなかった)
ルナ1970A
1970年2月
帰還
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ16号
1970年9月
帰還
成功 - 【月のサンプルリターンに成功した】
ルナ17号
1970年11月
軟着陸
成功 - 月の軟着陸に成功、月面車ルノホート1号による調査を行った
ルナ18号
1971年9月
帰還
失敗 - 月の軟着陸に失敗し通信不通になった
ルナ19号
1971年9月
周回
成功 - 月を周回しながら1年間の観測を行った
ルナ20号
1972年2月
帰還
成功 - 月のサンプルリターンに成功した
ルナ21号
1973年1月
軟着陸
成功 - 月の軟着陸に成功、月面車ルノホート2号による調査を行った
ルナ22号
1974年5月
周回
成功 - 月を周回する軌道に投入されて観測を行った。
ルナ23号
1974年10月
帰還
失敗 - 月の着陸の際に損傷して失敗した。
ルナ1975A
1975年10月
帰還
失敗 - 打ち上げ失敗
ルナ24号
1976年8月
帰還
成功 - 月のサンプルリターンに成功した。
※ルナ24号をもってルナ計画は終了しました。


ゾンド計画 - 無人探査機(1号-3号) or ソユーズ有人月飛行の無人試験(それ以降)

3MV探査機(惑星無人探査)
ゾンド1号
1964年4月
金星
失敗 - 金星フライバイ前に通信途絶
ゾンド2号
1964年11月
火星
失敗 - 火星フライバイ前に通信途絶
ゾンド3号
1965年7月
成功 - 月フライバイ、月の観測に成功

7K-L1宇宙船(ソユーズ有人月飛行の無人試験)
コスモス146号
1967年3月
テスト
成功 - テスト飛行
コスモス154号
1967年4月
テスト
失敗 - エンジントラブル
ゾンド1967A
1967年9月
失敗 - 打ち上げ失敗
ゾンド1967B
1967年11月
失敗 - 打ち上げ失敗
ゾンド4号
1968年3月
成功 - 月に近づいた後地球へ帰還、着陸地点の問題で意図的に爆破
ゾンド1968A
1968年4月
失敗 - 打ち上げ失敗
ゾンド1968B
1968年7月
失敗 - 打ち上げ失敗、射場で爆発
ゾンド5号
1968年9月
成功 - 月周回後帰還、亀や他の生物を乗せた
ゾンド6号
1968年11月
成功 - 月周回後帰還
ゾンド1969A
1969年1月
失敗 - 打ち上げ失敗
ゾンドL1S-1
1969年2月
失敗 - 打ち上げ失敗
ゾンドL1S-2
1969年7月
失敗 - 打ち上げ失敗
ゾンド7号
1969年8月
成功 - 月フライバイ後帰還
ゾンド8号
1970年10月
成功 - 月フライバイ後帰還
ゾンド9号計画中止
ゾンド10号計画中止


ソユーズ計画

コスモス133号
1966年11月
失敗 - ソユーズ計画の試験衛星
コスモス140号
1967年2月
成功 - ソユーズ計画の試験衛星、しかし多数の問題点が発見
ソユーズ1号
1967年4月
失敗 - 帰還時に宇宙飛行士は死亡
コスモス186号
1967年10月
成功 - 無人機、コスモス188号とドッキング【初の自動ドッキングを達成】
コスモス188号
1967年10月
成功 - 無人機、コスモス186号とドッキング【初の自動ドッキングを達成】
コスモス212号
1968年4月
成功 - 無人機、コスモス213号とドッキング
コスモス213号
1968年4月
成功 - 無人機、コスモス212号とドッキング
ソユーズ2号
1968年10月
失敗 - 無人機、ソユーズ3号とドッキング予定だったが失敗した
ソユーズ3号
1968年10月
失敗 - 有人機、ソユーズ2号とドッキング予定だったが失敗した
ソユーズ4号
1969年1月
成功 - 有人機、ソユーズ5号とドッキング【初の有人ドッキングを達成】
ソユーズ5号
1969年1月
成功 - 有人機、ソユーズ4号とドッキング【初の有人ドッキングを達成】
ソユーズ6号
1969年10月
失敗 - 有人機、ソユーズ6号/7号/8号の合同ミッション
ソユーズ7号
1969年10月
失敗 - 有人機、ソユーズ6号/7号/8号の合同ミッション
ソユーズ8号
1969年10月
失敗 - 有人機、ソユーズ6号/7号/8号の合同ミッション
ソユーズ9号
1970年6月
成功
ソユーズ10号
1971年4月
失敗 - 宇宙ステーションサリュート1号へのドッキング予定だった
ソユーズ11号
1971年6月
失敗 - サリュート1号へのドッキングは成功したが帰還に失敗し死亡
※以降ソユーズ12号(1973年)へ続き現在に至る。


アポロ・ソユーズテスト計画

ソユーズ19号
1975年7月
成功 - ソ連側
アポロ18号
1975年7月
成功 - アメリカ側
※ドッキングして両者が合流しました。米ソによる宇宙開発競争の時代も終了となりました。
※その後打ち上げたルナ24号の成功をもって、ルナ計画も終了しました。


アポロ計画捏造説#62 につづく

参考リンク
http://www.d1.dion.ne.jp/~ueharas/seiten/gt10/ussr1.htm
Wikipedia各種

4 件のコメント:

  1. G3です。

    米ソの宇宙開発競争一覧として見事な比較表ですね。
    アメリカはまだしもソ連が当時の経済状況の中、これだけ数多くのロケット発射実験を繰り返しまた、その失敗の数もただならぬ数に達していたことに驚いでいます。

    当時のソ連にこの夥しい数の実験を行うことが経済的に可能だったのか?ということに疑問を持ちました。

    ソ連も捏造していたということならば、全ての疑問も氷解します。

    返信削除
    返信
    1. わいあんです。

      コメントありがとうございます。

      アメリカの宇宙開発の資料は探せばたくさんあるのですが、ソ連の宇宙開発をきちんと調査してまとめたサイトはなかったので、1個づつWikipediaで調べながらこの一覧表を作りました。なので、実はこのページ、結構労力がかかってます。

      ソ連は打ち上げ場所も極秘でミッションは進められました。
      実際に打ち上げ場所が後から訂正されたりもしているようです。
      つまり、打ち上げ自体もダミーで、行われていないミッションも、少なからずあったのかもしれないと考えています。

      では。
      わいあん

      削除
  2. サム
    >ソユーズ11号失失敗 - サリュート1号へのドッキングは成功したが帰還に失敗し死亡

    これ、ドッキングのとき衝突してしまい、空気が漏れてしまった。この時に全員死亡した。
    ということだっけな・・・

    返信削除
    返信
    1. わいあんです。

      帰還時に宇宙船の換気用の弁が開いてカプセルの空気が抜けたのが原因のようです。(※Wikipedia - ソユーズ11号 参照)

      ただし、ソユーズ11号がサリュート1号とドッキングして、サリュートに乗り込んだ時、煙臭い、焦げた匂いに気づいたということも書かれてますね。

      それが何なのか、明確な原因は分からなかったけど、次のようなサイトがありました。
      運命のいたずら(下)
      ここには次のように書かれていました。
      異臭が充満した直後、パワーケーブルが焼けたのではないかと考え、クルーらは、地上への帰還を打診した。しかし、特にそれ以上の異常がなかったことから、ミッション続行が指示されたという。

      それから3週間のミッションを行ったようなので、ドッキング時の事故の可能性はなさそうです。

      このミッションはアポロ14号と15号の間のことで、ミッション中は毎日報道され、アポロに負けていたソ連に「ニュー・ヒーロー」が誕生し騒がれていたそうです。しかしこの事故によってソ連はアポロに完全敗北となったのだそうです。

      これは米ソの対決の中でも重要ミッションなので、#62 ねつ造派の視点で見た米ソ宇宙開発競争にも追記することにしました。

      では。
      わいあん

      削除