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アポロ計画捏造説#42 月の石が木の化石だった疑惑について

アポロ計画捏造説#41 では、WikipediaのNetherlands lunar sample displays(オランダの月サンプル展示品)を訳してみました。

ここではなぜこの記事を訳したのかとその考察をしてみたいと思います。

事の発端
まず、事の発端は2009年のニュース記事でした。

「月の石」、実は木の化石だった オランダ国立美術館(2009年08月29日)
オランダのアムステルダム国立美術館(Rijksmuseum)は、同美術館が収蔵している「月の石」が、実は樹木の化石だったことが分かったと発表した。


詳細情報
細かい情報がWikipediaのNetherlands lunar sample displays(オランダの月サンプル展示品)に書かれていました。
※全訳はアポロ計画捏造説#41を参照

ここには下記のように書かれています。
  • 月の石を調査したところ、おそらくアリゾナ州から採取された石化した木であることが2009年に判明した。
  • 駐オランダ米大使ウィリアム・ミッデンドルフⅡ世が1969年10月9日にオランダの元首相ドレース氏に「月の石」をプレゼントした
  • アポロ11号の宇宙飛行士はその当時に親善ツアーでオランダを訪れていた
  • ドレース氏の孫が考えるには、月の石を宇宙飛行士からもらったものとドレース氏が勘違いしてしまったのではないかということです。
  • アムステルダム国立美術館がこの月の石を1992年に受け取ったとき、博物館はNASAに電話で連絡を取った。しかし実物を見るわけでもなく、月の石でありうると言われただけだった。
  • USA Today紙はこの事実をもとにアポロの月面着陸による展示品にたいして注意喚起を訴えている。

しかし、ここまで大きな情報が勘違いというのもおかしいです。
WikipediaのNetherlands lunar sample displaysにはこの記載情報についてのソースがついていたので、それを確認します。


勘違いと書いてあった情報のソース記事
Apollo moon rocks lost in space? No, lost on Earth (USA Today)
The U.S. ambassador gave Drees the rock during an Oct. 9, 1969 visit by the Apollo 11 astronauts to the Netherlands. Drees's grandson, also named Willem, told the AP his grandfather had been out of office for more than a decade and was nearly deaf and blind in 1969, though his mind was still sharp.

アメリカ大使はアポロ11号の宇宙飛行士がオランダにやってきていた1969年10月9日に、ドレース氏に石をプレゼントした。ドレース氏の孫、ウィリアムさんは、AP紙に次のように語りました。祖父は1969年には既に10年以上オフィスを離れていて、意識ははっきりしていたけど耳もほとんど聞こえなければ目もほとんど見えなかった。


なんかちょっと怪しい気がしました。
なので、ウィリアム・ドレースについて少し調べました。
英語情報は既に手が加わっているかもしれないので、オランダの情報で確認しました。


ウィリアム・ドレースについて
W. (Willem) Drees - Hoofdinhoud
パーティ/運動
PvdA (Partij van de Arbeid), van 9 februari 1946 tot 30 juni 1971
PvdA(労働党):1946年2月9日から1971年5月30日

党政治
lid-voor-het-leven partijbestuur PvdA, vanaf november 1959 (woonde tot september 1966 regelmatig vergaderingen bij)
労働党政府、1959年11月から(1966年9月までミーティングには定期的に出席)

一般的な事実
Brak in 1971 met zijn partij, uit onvrede over de samenwerking met andere linkse partijen en de in zijn ogen te radicale koers van de PvdA
他の左翼政党や労働党過激派との関係がうまくいかず、彼の政党は1971年に崩壊した。

Bleef ook na zijn vertrek uit de PvdA - ondanks doofheid en slechtziendheid - een actief volger van de politiek en gaf tot op hoge leeftijd van tijd tot tijd nog commentaar
難聴と視覚障害にもかかわらず、労働党から離れた後でさえも政党のアクティブフォロワー達と関係を維持し、時々再検査をしつつ年を取っていった。

出版物
"Monarchie, Democratie en Republiek" (1969)
「君主制、民主主義と共和国」(1969)

"Het Nederlandse Parlement vroeger en nu" (1975)
「オランダの議会過去と現在」(1975年)

"Marx en het democratisch-socialisme" (1979)
「マルクスと民主的社会主義」(1979年)

"Herinneringen en Opvattingen" (1983)
「記憶と意見書」(1983年)

Willem Drees(英語版Wikipedia)
Drees was a Teetotaler, and also a Freemason .
ドレース氏はフリーメーソンの一員だった。


ここまでの情報を見て
ウィリアム・ドレースは1971年まで政治活動をしていました。
難聴と視覚障害は確かに書かれていたが、1983年まで本を出版しており大きな不自由は感じられなかったと考えられます。

「1969年には既に10年以上オフィスを離れていて、意識ははっきりしていたけど耳もほとんど聞こえなければ目もほとんど見えなかった。」という証言は明らかにおかしいです。

また、この情報が書かれているのはUSA Today紙のみであり、おそらくUSA Today紙とWikipediaを利用した偽装工作ではないかと思います。


フリーメーソンについては次まとめようと思います。

アポロ計画捏造説#43 につづく

2 件のコメント:

  1. さっすがーーー
    オランダ語もわかる!
    すごい!

    おかしなはなしですよね。
    そんな話が多い。

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    返信
    1. サム
      わいあんです。
      オランダ語は分からないです。
      最初に英語に変換してから訳したのですが、それで何とかなりました。
      USA Today紙の記事、明らかにおかしなはなしでした。
      では。
      わいあん

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