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アポロ計画捏造説#78 中国の宇宙開発とその疑惑

アポロ計画捏造説#77 では、NASAとESAの関係について調べ、NASAとESAは運命共同体ということをまとめました。

次はソ連、アメリカ、日本、ESAの次に月にたどり着いた中国の宇宙開発について調べてみたいと思います。

ミッション名 機関 打ち上げ日 ミッション終了日 目的 特記事項
(主にアポロとの関わり)
嫦娥1号
中国
2007.10
2009.3
月周回軌道
嫦娥2号
中国
2010.10
月周回軌道
アポロ11号着陸跡撮影(2012.2)
嫦娥3号
中国
2013.12
2014.7
月面軟着&月面車
ランダーにプルトニウム238のRTGを使用


歴史

中国が弾道ミサイルの開発を始めたのは1956年のことになります。この時はまだソ連も弾道ミサイルを開発していた時でした。
当時中ソ関係は良好で、ソ連は中国人学生の育成をしたりR-2ミサイルを提供したりと、中国への技術提供に協力的でした。中国初のミサイルはこのR-2ミサイルをリバースエンジニアリングして作られました。中国初の観測ロケットはアメリカよりも少し遅れて1960年2月に打ち上げられました。

しかし中ソ対立が起きつつある時期でもあり、1960年にソ連の技術的援助は突然無くなりました。ソ連は既に月に到達していました。

米ソ宇宙開発競争がピークになっていた1960年代後半には中国も独自の有人宇宙計画(曙光1号)を打ち出しました。しかし成果は乏しく、政治的、財政的理由から1972年5月にこの計画は中止されました。このとき既にアメリカはアポロ16号まで行っていました。

中国初の人工衛星(東方紅1号)は1970年4月に成功しました。日本ではおおすみが1970年2月に成功していました。

その後は商業衛星の打ち上げが活発化し、海外の衛星も打ちあげるようになりました。

初めて有人飛行(神舟5号を)を成功したのは2003年10月のことでした。自力で成功した3番目の国でした。2008年9月には宇宙遊泳(神舟7号)も行われました。

2007年10月には嫦娥1号、2010年10月には嫦娥2号が月にたどり着きました。2013年12月には嫦娥3号が月面軟着陸しました。


アポロ着陸地点の撮影

中国は嫦娥2号の高解像度の写真でアポロ11号の月面着陸の跡がはっきり見え、アポロ11号はまちがいなく月にたどり着いていると主張しました。

しかしアポロ着陸地点の写真は中国により非公開となっています。


さまざまな疑惑

中国のミッションで撮影された映像には数々の疑惑があります。

2008年9月の宇宙遊泳(神舟7号)の動画
1:05、1:58、2:03、2:34 に泡が入っており、水中で撮影していることが分かります。


嫦娥1号の公開写真
2007年11月嫦娥1号最初の月面映像が公開されましたがグーグル・ムーンの写真と瓜二つでした。
左が嫦娥一号の公開写真、右がグーグル・ムーンの写真


嫦娥2号の動画
こちらを参照: 拉普拉斯A环形坑 (※埋め込みできないのでリンクとなります)
月面動画ですが、CGで作られているのが一目瞭然です。


嫦娥3号の公開写真
月面車玉兎号のキャタピラによって掘り返された土の色が明らかに地表の色よりも濃い。
地球では水分を含んでいるため地下の土の色が濃くなっているのは珍しくないが、月の過酷な環境では考えられないと指摘されています。


嫦娥1~3号はまちがいなく月に行っていませんでした。

アポロ計画捏造説#79 につづく

参考URL
Wikipedia - 中国の宇宙開発
http://japanese.china.org.cn/culture/2012-02/07/content_24573283_3.htm
http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/76c247edbd200221a3ba7d08e4baa2fd
http://www.recordchina.co.jp/a82576.html
http://news.livedoor.com/article/detail/8483396/

1 件のコメント:

  1. 見る限り形状の変形もなく回転しているため、泡でなくデブリと見るのが適切かと
    可能性はありますが
    二枚目に関しては乱反射面の増大によって帰ってくる光が減少した結果、黒く見えているだけですね

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